日清ファルマの製造拠点である上田工場。上田工場がある長野県上田市には、真田氏ゆかりの史跡や、かつて栄えた養蚕業を知ることのできる丸子郷土博物館など、この地の歴史に触れられるスポットが多く存在する。一方で、地元産のそば粉を使ったそば打ちや、伝統が息づく上田紬の機織り、信州で最も古い歴史を持つといわれる別所温泉といった、さまざまな体験ができる場所も。知欲と体験欲を刺激するスポットを巡れば、いままで知らなかった信州・上田の魅力を堪能できるはず。
まずは、信州・上田巡礼で知欲を満たそう。
KNOWLEDGE
上田駅から一歩外へ出ると、真田幸村の像が来訪者を迎える。
長野県東部に位置する、自然と歴史の町・上田市。新幹線と高速道路が整備された現在でも、千曲川の水辺や豊かな田園といった風景のあちらこちらに、歴史上の人物たちとゆかりのあるスポットが数多く残されている。
旅の出発点にふさわしい上田駅前の広場を進むと、そこには騎馬武者姿の真田幸村公像が。上田市の真田地域は、真田幸隆(幸綱)、昌幸、幸村(信繁)と続く真田三代発祥の地。中でも「日本一の兵(つわもの)」と呼ばれた幸村は特に有名で、騎馬像の堂々とした佇まいから、この町の人々が真田一族をどれほど誇りに思っているかが伝わってくる。
上田市のシンボル的存在と言えば、上田駅から徒歩約12分の場所にある「上田城」。1583年に幸村の父・昌幸によって築城され、二度にわたって徳川軍を撃退した難攻不落の城である。
兵力では圧倒的に不利だった真田軍が、なぜ徳川軍を退けることに成功したのか。その要因は、周囲の河川や城下町などを含めた、戦術的に優れた地形や構造にある。実際に上田城跡公園へ足を運んでみると、芝生広場から西櫓に至る道には、注意書きの看板が立てられているほど急な階段があり、本丸跡を囲む広大なお堀「百間堀」は、まるで切り立った断崖のよう。徳川軍が攻略に手間取ったことも想像に難くないだろう。
そんな上田城に真田昌幸・幸村が移る前の本拠地であったと推定される場所もある。それが、現在の上田市真田町に位置する「真田氏本城跡」だ。こちらも上田城と同様に高低差の激しい地形が特徴的で、北側は急な崖になっている。眼下に町並みを一望できる見晴らしのよさは、きっと今も昔も変わらない。
上田城の東虎口櫓門。石垣にはひと際大きな「真田石」が。
真田氏本城跡からは上田の町が一望できる。
変わらず残されている草木や川といった自然風景も、上田市の魅力のひとつ。そんな山や河川を整備する取り組みを、真田一族も行っていたことをご存じだろうか。「山家神社」に残された宝物等によれば、真田昌幸公朱印状に四阿山(あずまやさん)の樹木伐採を制限する書付が。また、合戦で四阿山を源とする神川(かんがわ)を利用していたことは、民衆の生命線でもある川をきちんと治めていた証拠である。
真田一族ゆかりの神社があれば、ゆかりのお寺もある。戦国時代、真田の名を世に知らしめ、隆盛の土台をつくったのは、武田二十四将として活躍した幸隆だ。幸隆の病没後、真田家を継いだのは三男の昌幸。聖地を巡る旅では、幸隆・昌幸親子の墓がある「長谷寺」にお参りすることを忘れずに。
歴史の重さを肌で感じられる、真田一族ゆかりの地の数々を一日で周るのはなかなか骨が折れる。ということで休憩がてら、「真田氏歴史館」に足を運ぶのもまた一興。古文書や武具甲冑などの資料が年代順に配置されているので、真田三代各人の活躍がよくわかる。一族の歴史をおさらいしておくと、聖地巡りの楽しみが増しそうだ。
真田神社にあったとされる鬼瓦。すぐ近くには山家神社にかつて使われていた鬼瓦も展示されている。
長谷寺裏にある真田幸隆・昌幸の墓前に供えられた賽銭。真田氏の家紋「六文銭」を模している。
上田紬の生地がズラリ。落ち着きのある単色のものからシックな格子柄が入ったものまで、バリエーションはさまざま。
真田昌幸が上田城を築城した際、地場産業として奨励したものがある。真田織に所縁のある絹織物・上田紬がそれだ。日本三大紬のひとつに数えられる上田紬の伝統は、現在も「小岩井紬工房」や「藤本 つむぎ工房」など、5つの工房が継承し、その魅力を現代人に伝えている。工房を訪ねれば、伝統工芸を受け継ぐ人々の想いが肌で感じられる。
一時は衰退したこともある上田の織物だが、衰退の前には全盛期が当然ある。そもそも上田の中でも丸子町は、養蚕・製糸業とともに発展した歴史を持つ。その背景には、上田の気候や風土が関係している。まずは晴天率の高さ。糸の原料である蚕の繭は雨に弱いため、上田の乾燥気候は養蚕業に適していたのである。
もうひとつのポイントは、蚕の餌となる桑の木が多いこと。桑は根を地中深く垂直に伸ばす性質があり、急斜面でもよく育つため、山だらけで平野が少ない信州の土地にぴったり。つまり、蚕の餌にはまったく困らなかったというわけだ。
養蚕業に適した地として、地域全体が製糸業と密接に関わっていた丸子町は、明治から昭和にかけての近代器械製糸業の発達によって活気づいた。ところが1929年の世界恐慌の影響で、アメリカ市場に依存していた日本の製糸業は壊滅的な打撃を受けてしまう。丸子町にとってもそのダメージは深刻で、中小企業だけでなく大企業も相次いで倒産。こうした状況の中、太平洋戦争が始まり、丸子の製糸工場のほとんどが軍需工場に転用されていった......。
丸子の製糸業の歴史について詳しく知りたい人は、「上田市立丸子郷土博物館」に足を運んでみてほしい。製糸業発展の基盤や全盛期から衰退への流れ、生糸ができるまでの工程などを知ると、上田の織物が一層尊いものに感じられるだろう。
上田市立丸子郷土博物館の第2展示室で、丸子の近代器械製糸の盛衰を学ぶ。
製糸労働者の9割は女子工員だった。一日の労働時間は約13時間という過酷さ。(上田市立丸子郷土博物館提供)
SPOT
上田城・上田城跡公園
1583年に築城され、2度にわたって徳川軍を撃退した難攻不落の城。日本百名城 二十七番・日本夜景遺産に認定されている。上田城千本桜まつり、上田城けやき並木紅葉まつりなど、毎年季節ごとのイベントが開催される観光名所。
真田氏歴史館
武田二十四将として活躍した真田幸隆をはじめとする真田一族の歴史を、古文書や武具甲冑などの資料で紹介する。館内の展示は年代順に配置されているのが特徴。歴史館に隣接する「真田氏館跡」も要チェック。
真田氏本城跡
真田幸村の父・真田昌幸が上田城に移るまで、真田氏の本拠地であったと推定される場所。真田山城、松尾新城などと呼ばれることもあるが、その広大な規模から、真田町指定文化財史跡名では真田氏本城が採用されている。
真田山種月院長谷寺
真田幸隆が開山した真田氏の菩提寺。境内には、幸隆夫妻と昌幸の墓がある。昌幸は父・幸隆の菩提のために寺の増築改修を行なったが、焼失と再建を繰り返してきた。現在の建物は1978年に再建されたもの。
山家神社
山家郷(真田郷)の産土神が祀られた歴史ある神社。真田一族の崇敬が深く、奥宮(四阿山)や本宮の営繕や寄進を受けた。真田氏だけでなく歴代の上田城主にも崇敬され、真田信綱・昌幸文書は、社宝となっている。
上田市立丸子郷土博物館
1983年に開館した、丸子町の歴史と文化を紹介する博物館。江戸末~現代の近代器械製糸に関する資料を展示し、製糸業の盛衰や生糸ができるまでの工程などについて学べる。第一展示室では、旧石器~江戸の考古・歴史の資料を展示。
手織り 上田紬 小岩井紬工房
多くの工房が手織りから力織機(りきしょっき)へ移行する中、手織りに徹するという信念を貫く。紬の中でも最高級品である「お召し」は、丁寧に織り込まれた独特な手触りが特徴。オリジナルの林檎染や反物、小物類なども取り扱う。