リブロンの原点・想い
ORIGIN

100年前、ひとつの疑問から始まりました。

欧米では、
なぜ優秀な製品を
造り出せるのか?

日本初の取り組みとなった小麦の化学的研究

1日本初の取り組みとなった
小麦の化学的研究

日清製粉グループの始まりである館林製粉株式会社が設立されたのは、1900年のこと。まだ小麦粉は輸入品が多くを占め、国内の製粉企業のほとんどは水車を利用した石臼製粉だった時代です。これからの時代、小麦粉は日本人の食生活に欠かせないものになると確信した創業者、正田貞一郎は、アメリカから製粉機械を取り寄せて独学で学び、機械での製粉に踏み切ります。
当時から海外へ目を向けていた貞一郎は、1913年に海外へ製粉事業の視察に向かいました。そこで彼は、先進の工場や設備だけではなく、多くの工場が実験室を設け、原料や製品その他について常に綿密な理化学的研究を行い、いかに限られた原料で優秀な製品を作り出すかということに感心します。
帰国後、「小麦粉は機械も大事だが、それ以上に小麦・小麦粉の化学的研究が大切だ」と想いを強くするようになり、1914年、化学実験室を設置。小麦の研究を開始したのです。製粉企業での化学技術の導入は、日本初のことでした。

日本人をもっと健康にする小麦に秘められた力

2日本人をもっと健康にする
小麦に秘められた力

一方で、貞一郎はある疑問を抱き続けていました。
日本人が欧米人より身長が低いのは何故か。海外と比べ、日本に腰の曲がった高齢者が多いのは何故か。
その健康状態の違いは食習慣、栄養摂取の違いによるのではないかと推測していた彼は、主食の違いに注目します。欧米人の主食はパン。小麦の栄養を分析し研究することで、日本人はもっと健康になれるのではないか、それこそが食品産業の使命だと確信しました。

研究の積み重ねは医薬品、健康食品事業へ

3研究の積み重ねは
医薬品、健康食品事業へ

小麦の研究はやがて大きな成果をあげていくことになります。1935年には、世界で初めてビタミンB1を発見した鈴木梅太郎博士と共同で小麦胚芽の有効成分について研究を開始。ビタミンB6、E、K1の合成技術を開発し、生産を開始します。その結果、日清製粉の工場で生産されたビタミンは製薬会社へ供給され、医薬品として使用されるようになりました。
小麦胚芽の研究でも、胚芽部分に栄養素がバランスよく含まれていることが明らかになります。「この小さな胚芽が日本人の栄養不足を解消する手助けになるのではないか」。その想いから研究を重ね、1955年、粉末と粒状の2タイプで製品化が実現します。手軽に栄養補給できる、健康食品「リブロン小麦胚芽」の誕生でした。
こうして日本で初めての小麦の化学的研究は、医薬品、健康食品事業へと発展、人々の健康に貢献することになったのです。

「リブロン」の命名由来である
「Look Younger,Live Longer」は未来を予想していた!?

「リブロン」は世界的な栄養学者、ゲイロード・ハウザー博士が1951年に健康法を記した著書「Look Younger,Live Longer」から命名されました。
博士のこの著書は日本でも翻訳され話題を集めました。健康、美容、長寿などについて書かれており、健康食として次の5つの食品を摂ることを勧めています。それが、小麦胚芽、醸造酵母、ヨーグルト、脱脂粉乳、糖蜜。それらを混ぜたものは「ハウザー食」と呼ばれ、ハリウッド女優なども試していたといいます。どれも時代においては健康にいいとされるものばかり。まるでハウザー博士は未来を予見していたかのようです。