日清ファルマが本社ビルを構える神田。江戸屈指の職人・商人の町として栄えた歴史があるこのエリアには、江戸の町人文化を象徴するようなスポットが多く現存している。また、昔の風情が残された路地に足を踏み入れれば、長きにわたってこの地域で親しまれてきたであろう、小さな神社がいくつもあることに気付く。そんな神田の街に今も残る、古きよき町人文化に触れられるスポットを巡り、神田の新たな一面を発見してみては?
きれいな朱色が目を引く『出世稲荷神社』の立派な鳥居。2体の狐像には、きちんと赤い前掛けが。
JR神田駅周辺は、今や高層ビルが立ち並ぶオフィス街。その一方で、駅のガード下には大衆居酒屋や立ち飲み屋が多数軒を連ね、どこか懐かしい雰囲気を醸し出している。こういった二面性は、なにも駅の周辺に限ったことではない。むしろ駅から少し離れた街中にこそ、昔ながらの景色が至るところに広がっている。その最たるものが、路地の一角に忽然と現れる小さな神社。しかもこのような神社は一つや二つどころではなく、あちらこちらでいくつも発見できる。散歩の途中に細い路地を見つけたら、チラッと覗いてみるのも面白い。
そんな小さな神社の一つが、商売繁昌の利益で有名な京都府の伏見稲荷大社より分霊したと伝わる『出世稲荷神社』。延享年間(1744~1748)の火災によって一度は近隣にある柳森神社に合祀されたが、1874(明治7)年に現在の場所に再建された。関東大震災で社殿は全焼したものの神璽(しんじ)は被害を免れ、その後も戦災や火災を免れていることから、火伏のほか商売繁盛や学業成就の利益があるとされる。青果市場が近くにあった頃、町内には市場で働く商人や職人たちが多く住んでおり、彼らからの信仰は篤かったとか。「出世」という響きからも、なんだかご利益がありそう。
稲荷神社ゆえ、賽銭箱の上に油揚げがお供えされていた。屋外のため、榊立が倒れないように設置されている。
小さい神社ながら手水舎がある。清掃が行き届いていることからも、地域の人々から大切にされているのが分かる。
神社へお詣りしたら、下町の文化に触れられるスポットへ。実は出世稲荷神社のすぐ近くに、2014年にオープンした小さな寄席がある。『神田連雀亭』は、落語、講談、浪曲などの若手のみが出演する珍しい寄席。誕生した背景には、「地域おこしのため、また二ツ目など若手の活躍の場を増やしたい」という連雀亭のオーナー方の思いがあった。そもそも二ツ目とは、見習いの身である前座から昇進した落語や講談の階級のこと。二ツ目の落語家や講談師は、その上の階級である真打ちになることを目指し、約10年に及ぶ経験を積む。『神田連雀亭』は、いわばそのための修行の場でもある。
フロアがコンパクトな分、高座と客席の距離が近いため、出演者の噺に没入できるはず。また、出演者たちが受け付けや開演時の案内などを行うので、気になった落語家に声をかけて応援するといったコミュニケーションが取れるのも魅力だ。昼と夜で異なる形式の寄席が行われるのも特徴で、500円で気軽に立ち寄れるワンコイン寄席(11:30開演)は、落語初心者にもぴったりだ。
高座と客席が近く、最前列なら出演者の呼吸や息遣いまで聞こえてくる。写真は、三遊亭兼太郎さん。
出演者の名札がズラリ。建物の入り口に、その日の出演者の名札が出される。
『神田連雀亭』から徒歩で約2分の場所にある『神田志乃多寿司』の寿司は、ランチや神田の手土産にうってつけ。同店は、1902(明治35)年から続く老舗で、現店主で3代目となった今でも一貫して神田の街で営業している。イチオシは、まろやかな甘味とコクが特徴の「志の多(稲荷寿司)」と、醤油+砂糖で甘辛く煮込んだかんぴょうを使用した「のり巻」。「いずれも創業当時は、ファストフードのような庶民の食べ物でした」と語るのは、専務取締役の原田勝信さん。「昔のままつくっていたら、今の味覚には合わない。だからこそ、時代に合わせて味付けを微妙に変えています」
店に入ると目に飛び込んでくるのが詰め合わせがバラエティ豊かに並んだショーケース。
稲荷寿司、かんぴょう巻、太巻が入った「太巻詰合せ」1026円。パッケージや包装紙のかわいらしいイラストも評判がいい。
同店の長い歴史の中で、時代に合わせて変わってきたものがあれば、当初から変わらないものもある。それが、一見すると寿司のものとは思えないパッケージのデザインだ。「内箱は画家の谷内六郎さん、包装紙は洋画家の鈴木信太郎さんに、2代目店主が依頼してデザインしてもらったもの。お客さんからの評判がいいので、現在も当時のデザインをそのまま使っています」(原田さん)庶民に親しまれてきた稲荷寿司とかんぴょう巻。その素朴でありながら一度食べれば忘れられなくなる奥深い味わいは、まさに現代の庶民の味といえる。
歩道に設置された『神田青果市場発祥之地』の石碑。すぐ隣にある看板に、市場の歴史が記されている。
寄席と昔懐かしい庶民の味を堪能した後は、庶民の暮らしに思いを馳せてみよう。
今でこそ神田には水田のイメージはないが、幕府が編集した江戸の地誌「御府内備考(ごふないびこう)」には、中世の神田川右岸が水田の多い農村地帯だったことを示す記述がある。また、江戸初期の慶長年間(1596~1615)には、神田須田町1丁目を中心に、神田青物市場の起源とされる野菜市が開かれていた。水運を利用し、神田川沿いの河岸や鎌倉河岸から荷揚げされた青物が、約1万5千坪(約4万9500㎡)に及ぶ広大な市場で商われていたのである。
当時、八百屋が軒を連ねていた須田町や多町、佐柄木町、通新石町、連雀町の5町の表通りには、威勢のいい競りの掛け声が連日のように響き渡っていた。淡路町駅付近にある『神田青果市場発祥之地』の石碑を見れば、下町の商人たちが過ごした日常が少しばかり思い描ける......かもしれない。
江戸、東京の食生活を支えた神田青果市場は、1928(昭和3)年に秋葉原西北に移転したが、それでもこの界隈には下町の面影を残す老舗商店が複数現存している。なかでも神田で100年以上続く『越後屋豆腐店』は、3代目店主・石川義昭さんの飽くなき探究心で新商品を生み出す、地域で愛される人気店だ。
注文すると容器に移してもらえるバケツ豆腐。大カップ(写真左)550円、小カップ(写真右)160円。
焼き豆腐220円。バーナーを使わず、手間暇をかけて炭火で焼き目をつけるのがこだわりだ。
約7年に及ぶ試行錯誤の末に生み出した名物商品の「バケツ豆腐」には、国産大豆を100%使用。普通の3倍という高濃度豆乳の濃厚な味わいと、海藻を粉末にした藻塩の絶妙な塩加減がたまらない。「バケツ豆腐が生まれたのは、仲のいい板前さんとの会話がきっかけ。いろいろ試作して、ようやくでき上がった豆腐をバケツに入れて持って行ったところ、"バケツ豆腐"と命名されました。プレーンのほかに、アゴだし豆腐やあおさ豆腐、ゆず入り、ごま入り、唐辛子入りなど、リクエストがあればいろんな味をつくりますよ」と石川さんは語る。常時入れ替わるラインナップに加え季節限定ものもあり、足を運ぶたびに新しい味に出合えそう。ちなみにバケツ豆腐は、その名のとおりバケツサイズ(1~2ℓ)でも注文可能(要予約)。
築100年程という店舗兼住宅の建物を建て替えたい気持ちもある一方、「今のままがしっくりくる」とも語る石川さん。「昔の面影がある場所はもうほとんどない」そうだが、同店はそんな昔の面影を残す貴重な場所である。
奥行のある建物は、店舗兼住宅。当初、壁面には「越後屋」の文字があったが、現在は「後」だけに......。
新たな豆腐の開発に余念がない3代目店主の石川義昭さん。「店のすぐ前の通りは昔、市場だった」としみじみ。
現代に残る下町の空気に触れる散歩の最後は、再び路地の神社へ。
3方向をビルが囲み、路地を進むまで鳥居が見えないほど奥まった場所にある『真徳稲荷神社』は、神田明神の鎮座と同時期に、京都の伏見稲荷大明神の分霊を勧請したと伝えられている。1865(慶応元年)年に神田区三河町四丁目に創建され、1873(明治6)年に神田明神の兼務社となるも第二次世界大戦によって焼失。神田司町内の2稲荷神社を仮社殿に合祀したという。その後司町二丁目町会の再発足を機に、これまでの3柱の神霊を一旦伏見稲荷大社へ還座、1956(昭和31)年に改めて現在の場所に再建・勧請された。
紆余曲折を経てこの地に戻った真徳稲荷神社。司町二丁目町会の守護神として五穀豊穣、悪疫鎮護、商売繁盛の神が祀られ、町会のランドマークとして今も地域の人々から大切にされている。参拝時に手水舎で身を清め、散歩を締め括ろう。パッと見当たらない分、辿り着いたときの喜びはひとしおだ。
今やサラリーマンの街のイメージが強い神田。しかし、少し視点を変えて眺めてみると、かつての面影を残す歴史的スポットや古きよき町人文化が生んだ風景に出合えるはずだ。神田巡礼をきっかけに、この街の奥深い魅力を体感してみてほしい。
出世稲荷神社
伏見稲荷大社より分霊したと伝えられている神社。関東大震災で社殿は全焼したものの、神璽は被害、さらには戦災も免れたことから、火伏の利益があるとして信仰を集めている。商売繁盛や学業成就の利益も。
神田連雀亭
落語、講談、浪曲の若手が公演を行う寄席。出演者が受け付けや開演時の案内などを行うため、一人ひとりの噺家に対して親近感が湧きやすい。高座と客席の距離が近いのも魅力。
神田志乃多寿司
1902(明治35)年創業の寿司店。まろやかな甘味が特徴の稲荷寿司(志乃多寿司)と、じっくり煮込んだかんぴょうを使ったのり巻(大阪寿司)が看板メニュー。テイクアウトだけでなく、店舗の地下にある客席で食事もできる。
神田青果市場発祥之碑(石碑)
江戸~大正時代にかけて、この場所に巨大な青果市場があったことを示す石碑。市場は1923(大正12)年の関東大震災で全滅したが、直ちに復興。その後、1928(昭和3)年に秋葉原西北へ、1990年には大田区へ移転した。
越後屋豆腐店
この地で100年以上続く豆腐店。3代目店主の石川義昭さんが生み出した人気商品「バケツ豆腐」は、国産大豆100%の濃厚な味わい。そのままでもおいしいが、メープルシロップやジャムをかけてデザートにアレンジしても美味。
真徳稲荷神社
神田明神の鎮座と同時期に、京都・伏見稲荷大明神の分霊を勧請したものと伝えられている神社。1873(明治6)年には神田明神の兼務社となったが、1952(昭和27)年に改めて伏見大社の分霊を勧請し、現在に至る。