日清ファルマが本社ビルを構える神田は、江戸時代に幕府のお膝元として魚河岸や青物市場が開かれた歴史ある街でもある。近代化が進む現代でも、街角には重要文化財に指定されている建造物が存在するほか、東京を代表するパワースポットや創業100年を超える老舗があちこちに。神田を語る上で欠かせないこれらのスポットを巡って、街の歴史に酔いしれてみよう。
東京都千代田区の北東部にある神田は、江戸時代に大きく発展した歴史ある街。かつて神社へ供進する稲をつくるための田んぼ=神田(しんでん)があったことから、この地名が付けられたといわれている。
1947(昭和22)年に神田区と麹町区が統合して千代田区が発足するまで、現在の神田は神田区と呼ばれていた。さらに江戸時代にさかのぼると、武家屋敷が立ち並んでいた錦町・小川町地区と、大工や鍛冶師といった町人たちが活躍した内神田地区に大分できる。
前者の錦町・小川町地区には、明治期以降に大学南校(現・東京大学)や華族学院(現・学習院)、高等商業学校(現・一橋大学の前身)などが建設されたほか、「警察通り」北側の武家地は町屋に変わり、教育や文化の中心地となっていった。後者の内神田地区は、江戸開府以来の職人・町人の町として知られる。なかでも特筆すべきは、江戸庶民のみならず将軍や江戸城下の胃袋を支えた野菜市場の中心地、神田多町。粋で人情味あふれる「神田っ子」の代名詞的な街である。
武家の暮らしと町人の活気の残り香が漂う下町、神田。その歴史を辿る散歩へ。
国登録有形文化財の神田明神の「御社殿」。1934(昭和9)年に竣工され、
当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿。
神田巡りと聞いて真っ先に思い浮かぶスポットは、『神田明神』(正式名称は神田神社)という方も多いはず。仕事運や商売繁昌を祈願する上では欠かせない神社であり、初詣時期には毎年30万人以上が訪れる都内屈伸のパワースポットの一つだ。
神田明神といえば、迫力満点の神輿担ぎをひと目見ようと毎年多くの人で賑わう江戸三大祭りの一つ、神田祭が有名。その起源には、徳川家康公が深くかかわっている。1600(慶長5)年、関ヶ原の戦いに臨む前に神田神社で戦勝の祈祷を行った徳川家康公が、この天下分け目の戦いに勝利し、天下統一を果たした。家康軍が勝利した日・9月15日が神田祭の日であったことから、神田祭は縁起のよい祭礼として、以後江戸幕府の年中行事にもされた。現在、千代田区・中央区を中心とする108町会や、東京の食文化を支える青果市場(旧神田市場)、魚河岸会(魚市場)の守護神が境内に祀られている神田明神。江戸時代から現代まで変わらず親しまれているという事実は、神田祭が今なお盛大に行われていることからよく分かるだろう。 境内には見所も多いのでぐるりと回ってみよう。
野村胡堂の小説『銭形平次捕物控』が神田明神の近所を舞台としていることから、1970(昭和45)年に建立された「銭形平次の碑」。
1978(昭和53)年に建立された「国学発祥の碑」は、荷田春満(かだのあずままろ)によって江戸時代に始められた学問「国学」の発祥を記念したもの。
千代田区指定有形民俗文化財の「獅子山」。かわいい我が子に厳しい試練を与える、という内容を表現している。
神田明神のすぐ隣に位置する宮本公園には、2009年に千代田区有形文化財に指定された、関東大震災の復興建築を代表する木造建築(商家)がある。関東大震災後の昭和初期に、江戸時代から続く材木商の遠藤家が建てた店舗兼住宅主屋『神田の家 井政』だ。部材に北山杉や屋久杉など日本各地の良材が用いられているほか、江戸時代の商家建築の様式や意匠を継承したデザインは、予備知識なしでも相当な歴史が感じられる。とはいえ、その背景を知っていると、現地を訪れた際の感慨がより深まるはず。
江戸時代、神奈川県鎌倉の材木座で公儀御用達の材木仲買商だった遠藤家は、江戸城築城のために江戸・神田鎌倉町(現在の千代田区内神田1丁目)に移住し、当代で17代を数える歴史ある材木商。先代の遠藤達藏氏は、神田明神の氏子総代、将門塚保存会会長としても尽力した人物である。そんな遠藤家の店舗併用住宅は、関東大震災後の1927(昭和2)年に日本橋川沿いの東京市神田区鎌倉河岸に建てられたのが始まり。1972(昭和47)年には当時資材置き場のあった府中市に移築されたものの、2009年に千代田区有形文化財の指定を受け、現在の場所へ再移築。この際、可能な限り材木商時代の店舗に復元されたが、移築先の宮本公園が茶道・江戸千家発祥の地であることにちなんで、玄関東側の和室は茶室に改修された。2度の改修を経て現在の姿となった建物は、時代に合わせて生まれ変わりながら、江戸の風情を現代に伝えている。
カフェもあるため、天気のいい日はテラス席できれいに手入れされた庭を眺めながらのお茶もお勧め
歴史的価値のある建築物が多い神田だが、それらはパッと目に付く分かりやすいものばかりとは限らない。日々の暮らしの中に溶け込んでいるあまり、意識していないとその価値を味わえないものも少なからず存在する。
『神田の家 井政』から南へ進んでいくと、神田川に突き当たる。この神田川は、江戸時代に本郷台地を開削して造られた人工の運河で、江戸城の外堀の役割を果たしていた。また、神田川完成後、このエリアに駿河出身の徳川家の家臣が多く住んでいたため、本郷・湯島台から切り離されて駿河台と呼ばれるようになった歴史もある。
そんな神田川に、1927(昭和2)年9月8日に架けられたのが『聖橋』。文京区湯島1丁目と神田駿河台4丁目を結ぶこの橋は、意識していないと素通りしてしまいそうだが、関東大震災の復興橋として架けられた名建築の一つ。堂々たるアーチ型の橋脚をじっくり眺めるために、少し遠回りしてみるのも乙なものだ。
『聖橋』を渡って駿河台方面へ進むと、その先には丸屋根が印象的な建物が。正教を伝道するためにロシアから日本に渡ってきた亜使徒聖ニコライの指導のもと、1891(明治24)年に竣工した『東京復活大聖堂教会(ニコライ堂)』である。実施設計を担当したのは、鹿鳴館を設計したことでも有名なイギリスの建築家ジョサイア・コンドル(原設計はロシアのミハイル・シチュールポフ)。関東大震災や第二次世界大戦といった苦難を乗り越えた歴史とそのレンガ造りの美しさから、1962(昭和37)年3月に大聖堂が国の重要文化財に指定された。駿河台のシンボル的存在だ。
1992年に大聖堂の補修がスタートしたが、準備期間を含め約9年もの歳月が費やされた。その理由は、当時の国内にある重要文化財のほとんどが木造で、石造の建物の補修はニコライ堂が最初だったから。石造文化財修復の先駆けという意味でも、歴史的に重要な建築物といえる。
『聖橋』。写真は御茶ノ水駅側の様子。うまくタイミングを計れば橋と電車のツーショット写真を撮影できる。
尖塔のある丸屋根が『ニコライ堂』の目印。周囲に高層ビルが立ち並んでいるが、この一角には厳粛な雰囲気が漂う。
そばの香りが豊かな「冷 せいろうそば」825円。芝海老をかき揚げにした「天たね」1540円との相性は抜群。
その地ならではのグルメを味わうのも、お出かけの醍醐味。神田エリアには、明治を代表する文豪・夏目漱石や、美食家としての一面ももつ作家の池波正太郎といった著名な文人が通っていたとされる老舗の飲食店が複数ある。ということで、神田の歴史を辿る散歩にふさわしい昼食スポットをご紹介。
江戸庶民に愛された食べ物は数あれ、今でも食べられるものとなるとその数は限られる。そんななか、江戸三大そばの一つ、藪そばを提供しているのが、1880(明治13)年創業の『神田藪蕎麦』だ。看板メニュー「せいろうそば」の特徴である薄緑色をした麺には、国産の最上級粉を外1割(そば粉10、小麦粉1)と呼ばれる割合で使用。口の中にふわっと広がるそばの香りと、ツルッとした喉ごしがクセになる。「そばの風味が落ちる夏の時期にも清涼感を楽しんでもらおうと、初代の堀田七兵衛が生地にそばの若芽を練り込むことを考えました。これが薄緑色のそばの始まりです」と、女将の堀田ますみさん。
昆布や鰹節だしを使ったそばつゆは、コクのある濃い目の味。そのため、そばを半分ほどつゆに浸して啜るのがおいしい食べ方。そばはつゆを少しだけつけて食べるのが粋だ、と得意げに語る江戸っ子の気分で味わいたい。もしかすると神田ゆかりの文豪たちも、この「せいろうそば」を啜っていたのかも?
建物は2014年に新築されたが、庭の灯籠や一部の樹木、店内の調度品など、旧店舗から引き継いだものも多い。
店内での集合写真。前列左から2人目が女将。店員たちの元気な掛け声が、店内に心地よい活気を生む。
神田明神(神田神社)
仕事運、商売繁昌を祈願する上で欠かせない神社で、正式名称は「神田神社」。1616(元和2)年に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座した。氏子区域が非常に広く、神田・日本橋のほぼ全域から大手町や秋葉原など、108町会に及ぶ。
神田の家 井政
江戸時代から続く材木商・遠藤家の旧店舗、住宅主屋として、2009年に千代田区有形文化財に指定された貴重な木造建築(商家)。江戸以来の商家建築の様式を受け継いでおり、部材には北山杉や屋久杉などの良材が使われている。
聖橋
神田駿河台4丁目と文京区湯島1丁目を結ぶ、長さ92m、幅22mの鋼及びコンクリ-ト橋。関東大震災の復興橋の一つとして1927(昭和2)年に架けられ、名称は一般募集でつけられた。アーチを描いた美しい橋脚が印象的。
東京復活大聖堂協会(ニコライ堂)
1891(明治24)年に竣工した正教会の教会。度重なる復興工事を経た歴史とレンガ造りの美しさから、1962(昭和37)年に大聖堂が国の重要文化財に指定された。イギリスの建築家ジョサイア・コンドルが実施設計を担当したことでも有名。
神田藪蕎麦
1880(明治13)年創業。看板メニューの「せいろうそば」は、豊かなそばの香りと柔らかい食感、薄緑色の麺が特徴。2014年に店舗を新築した際、旧店舗の雰囲気を継承しつつ各所をバリアフリー化した。2階席には個室(予約専用)も。