天下一の茶人・千利休は、和泉国堺で魚問屋を営む商家に生まれた。
堺は、その地名の通り、摂津、河内 、和泉3国の“境”に位置し、古くから交通の要衝であった。室町時代に中国(明)との貿易の拠点になると、多くの人や物が行き交う国際貿易都市へと発展する。利休が生まれた1522(大永2)年ごろの堺は、繁栄を極めていた。
さかい利晶の杜の学芸員・矢内一磨さんは、利休が生涯の大半を過ごした堺について「国内の流通と国際貿易で富を蓄えた経済都市でした」と語る。
「政治都市ではないので、身分制度の中にあっては決して主流にならない人々がどんどん力を持つようになっていきます。武士が中心になって運営する城下町とは異なり、堺では、会合衆と呼ばれる有力な商人たちによる自治が進みました」
自治都市・堺の自由な町衆の間で、大いに流行したのが茶の湯だった。利休も、若いころから茶の湯に親しんでいた。
「堺の地下から茶道具類がたくさん出てくるんです。利休さんの時代の地層は私たちが立っている地面から100㎝ほど下にあるんですが、武器や薬といった珍しい品々とともに、中国や東南アジアなどから陶磁器も運び込まれていたことがわかります」
利休が豊臣秀吉に命じられて自刃してから24年後の1615(慶長20)年、大坂夏の陣の前哨戦で、まちは跡形もなく焼けてしまう。堺商人が徳川方に鉄砲を売ったとして、豊臣方が火を放ったのだ。
「12㎞ほど離れた大坂からも、堺で上がっている火柱が見えたといいます。歴史に残る大規模な都市火災でしたが、同じ年のうちに早くも復興が始まります」
すっかり焼け野原になったまちは、江戸幕府のもとで、碁盤の目状に整備された。
このとき行われた「元和の町割」は、今も名残をとどめている。
「さかい利晶の杜があるあたりは、利休が生まれ育ち、暮らしていた、
まさに生活圏内だといえます」と矢内さん。堺のまちを歩いていると、
“天下一”へと上りつめていった利休の存在も、身近なものに感じられる。
利休作と伝わる茶室が、ただ一つ現存する。京都の妙喜庵 にある国宝「待庵」である。一説では、織田信長の後継を争った山崎の合戦後、秀吉が利休に命じて山崎城内につくらせたものであり、のちに妙喜庵に移築された。その創建当初の姿を想定復元したものが、さかい利晶の杜にある茶室「さかい待庵」で、文献などから得られた研究成果の結晶ともいえる。
さかい待庵では室内に身を置けるのがうれしい。2畳という極小の茶室でありながら、入ってみると思いのほか広く、居心地がとても良い。さかい利晶の杜で茶の湯を担当する宮本雅代さんに伺うと、利休の創意工夫が至る所に施されているのだという。
「窓の大きさが場所によって異なり、明るさも違うので、遠近法のような視覚的効果があって、奥行きを感じられるんです。炉は、現在定まっているサイズよりも少し小さく、位置も隅に切られています。限られた空間をいかに有効に使い、お客様に気持ちよく一服のお茶を楽しんでいただくか、試行錯誤されたんだろうと想像できますね」
「壁の腰紙に反故紙、つまり、不要になった紙を使っているのが、国宝・待庵と異なっているところの一つです。これは『伊勢暦』といって、今でいうカレンダーなんですよ。当時、紙は大変貴重なもの。同時代の茶室を調べていくと、伊勢暦を裏返して再利用していた可能性が高いと考えられます」
「茶室に設けられた小さな出入り口『にじり口』の考案者は利休さんだといわれていて、さかい待庵のにじり口はのちに定められた寸法よりも大きいんです。一度つくってみて、もっと小さくしたほうがよいと考えられたのではないか、そんな推察もできますね。ここで利休さんに思いを馳せていると、時のたつのも忘れてしまいますよ」
さかい利晶の杜では、さまざまな茶の湯体験が行われており、お茶の飲み方、お菓子の食べ方から教えてもらえるので、初心者も安心して参加することができる。さかい待庵を見学した後は、利休のふるさとで茶の湯の文化にふれてみよう。
※茶の湯体験は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため
休止している場合があります。
施設HPなどで最新の情報をご確認ください。
堺が生んだ千利休と歌人・与謝野晶子の足跡にふれながら、堺の歴史と文化を楽しく学ぶことができるミュージアム。さかい待庵のほか、北野大茶湯で利休が構えた四畳半茶席を再現した茶室もあり、申込制で見学することができる。
- 開館時間
- 9:00~18:00(最終入館17:30)、
茶の湯体験施設は10:00~17:00(最終入館16:45) - 休館日
- 第3火曜日(祝日の場合は翌日)および年末年始
- 入館料
- 大人300円、高校生200円、中学生以下100円
さかい待庵見学300円(別途展示観覧券要) - 住所
- 大阪府堺市堺区宿院町西2丁1-1
- 電話
- 072-260-4386
- アクセス
- 阪堺線宿院駅下車、徒歩1分。または南海本線
堺駅下車、徒歩10分 - HP
- https://www.sakai-rishonomori.com/
- ※新型コロナウイルス感染症拡大防止のため
臨時休館になることがあります。
施設HPなどで最新の情報をご確認ください。
堺には、利休が暮らしていた時代から脈々と受け継がれる菓子がある。それが「芥子餅」だ。利休が好んだことから、広く知られるようになったと伝わっている。
こし餡を求肥で包み、芥子の実をまぶした芥子餅は、芥子の実のつぶつぶとした食感と香ばしい香りがやさしい甘さを引き立て、いくつでも食べたくなる味わい。本家小嶋では、1532(天文元)年の創業以来、「一子相伝の秘法」を守って芥子餅作りを続けている。
本家小嶋の21代目・小嶋貴宏さんは「芥子は、最初は薬の原料として、海外から入ってきたんだと思います」と話す。
「利休さんがいたころの堺には、珍しいものがいろいろと運び込まれていたんでしょうね。うちは、もともと、堺で貿易商を営んでいたんです。それで、珍しい芥子の実も扱うことができたのではないでしょうか。どうしてその芥子の実を菓子にまぶしてみようとなったのかはわからないですけど(笑)」
芥子餅の歴史は利休生誕の10年後に始まっており、2022年で490年になる。
「お客様の中には、先々代や先代の味を覚えてくださっている方もいらっしゃいます。変わらない味を期待して来てくださる方に『何か違う』と感じさせてしまわないか、そういう緊張感は常にありますね。職人としては
“まだまだ”かもしれませんが、『おいしかったよ』の一言が何よりうれしい励みになります」
堺が国際的な貿易都市であったからこそ生み出され、
茶の湯の文化を育んだ堺で愛され続けてきた芥子餅。
利休をしのぶ旅の締めくくりには欠かせない。
- 住所
- 大阪府堺市堺区大町西1丁2-21
- 営業
- 9:00~17:00 (なくなり次第閉店)
- 定休日
- 月曜日
- 電話
- 072-232-1876
- アクセス
- 阪堺線宿院駅下車、徒歩1分
- HP
- https://www.honkekojima.com/
創建は奈良時代と伝わる。開口神社に残る
文書に、
利休の存在が確認できる最も古い
記録がある。
写真提供/堺観光コンベンション協会
1557(弘治3)年に三好長慶(みよし ながよし)が創建。
堺の町衆茶人たちが参禅した寺で、利休にもゆかりが深い。
境内に利休の供養塔がある。
写真提供/堺観光コンベンション協会
利休の師である堺の豪商・
武野紹鷗の屋敷跡。