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恵みの海・
かつて駿河国に属し、「東海道」に沿って数々の宿場が置かれました。
江戸時代後期、その様子を写したのが、ご存じ歌川広重の「東海道五十三次」。
その「いま」の姿を見るために、
駿河のなかの4つの宿場界隈を訪ねてみました。
広重が16番目の宿場「由比」の情景に選んだのは、次の「興津」宿との間にある「
21世紀のいま、峠の下の狭い土地には東名高速や国道1号線のバイパス、JR線など日本の大動脈が走っていますが、海と山、そして美しい富士は、歌川広重の描いた「東海道五十三次」の眺めそのもの。富士山がよく見える日には、地元の人も車を飛ばして訪れるビュースポットにもなっているようです。
由比宿の本陣跡は「由比本陣公園」として整備され、その敷地内にある「静岡市立東海道広重美術館」では歌川広重の作品を見ることができます。
広重の描いた茅葺き屋根の名物茶屋で知られる「
難所続きの東海道。長い道のりを徒歩で旅する人びとに、滋養になるものをと、丸子ではいつしか地元で採れる自然薯を擂った「とろろ汁」がふるまわれるようになったといいます。
看板料理は、いまも昔もその「とろろ汁」。静岡中部は土壌や気候から質の良い自然薯が育つそうで、現在は県内の契約農家に自然に近い農法で大切に育てられた静岡の在来種の自然薯が使われています。
それを皮ごと擂ったとろろ汁をふっくら炊いた麦めしにかけ、空気を含ませるようにまぜて、ザッと口に流し込むのが、“通”の食べ方。
丁子屋では、とろろ汁と麦めしに香の物やおみおつけをセットにした定食から、「揚げとろ」「自然薯すったまんま」「むかごの和え物」など、さまざまな自然薯料理が楽しめる、自然薯のフルコースまで用意されています。
テーブル席の「広重さんの部屋」には、広重の「五十三次」がぐるり! 店内には歴史資料館もあって、広重や十返舎一九、松尾芭蕉にちなむ展示物も見られます。
いまも昔も、おなかを満たし、こころを満たす…。丸子は、旅の味の思い出を作ってくれる宿場です。
丸子から次の「岡部」宿の間には「
きつい峠越えのあとに待つ、山懐に抱かれた岡部の宿場の街並みを目にした旅人たちは、きっとホッとしたに違いありません。
江戸時代末期の岡部は、宿屋や商家が立ち並び栄えたといいます。
その中でも特に立派で、「
「みせの間」にある、リアルな人形は、おなじみ「東海道中膝栗毛」の主人公である弥次さん・喜多さん。柏屋を訪れた人の記念撮影ポイントです。雨の中、峠越えをしてきた二人も、ここ岡部で宿をとりました。
本座敷から眺める和風庭園の向こうに立つ土蔵は、カフェやギャラリーとして活用。地元のアーティストとのコラボイベントなども行われるなど、いまと昔の良さを生かし合い、進化を続ける史跡となっています。
「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」
「箱根馬子唄」の歌い出しで有名な「大井川」左岸の「島田」は、東海道23番目の宿場。江戸時代、架橋が禁じられていたことから、次の「金谷」宿に行くには、
大井川が増水すると川越はできず、旅人はここで水量が落ち着くまで何日も待つことになります。まさに「越すに越されぬ大井川」だったのです。
江戸時代の東海道の建物・町並みが復元・保存された「島田宿大井川川越遺跡」を歩くと、往時の旅が実感できます。
かつて川越人足たちの詰所だった「番宿」。現在は「三番宿」「十番宿」が公開されています。
こちらは通行に必要な川札の販売など川越に関するさまざまな業務をおこなった「川会所」。
河原の石を積んだ「せぎ跡」。その先に、大井川が流れています。
お伊勢参りのために江戸を出立、東海道を西へ旅する弥次さん・喜多さん。男二人の珍道中を記した滑稽本は、江戸時代の人びとの間で大きな人気を博し、いまに至るまで読み継がれています。
その旅の途中でももちろん、今回ご紹介した四つの宿場が登場します。
作者は十返舎一九。その像は、丸子の「元祖丁子屋」内の歴史資料館で見られます。
島田宿大井川川越遺跡の近くにある「島田市博物館」は、「旅と旅人」をメインテーマにした常設展示コーナーを設置。じっくり見学していると “弥次喜多時代”の旅のイメージが浮かんできます。
博物館の外には、弥次喜多さんも怖い思いをした川越のモニュメントが。