暮らしとともに息づく星野焼

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焼き物はその土地の暮らしの中で生まれ、親しまれていくものではなかろうか。茶の産地として名高い星野の焼き物は、江戸中期、茶葉の保存や運搬のための容器・茶壺に始まった。久留米藩の御用窯として認可を受け、茶道に造詣の深かった藩主・有馬氏の庇護のもとで星野焼として隆盛を極めたという。しかし、明治維新を機に藩の庇護を失い、明治27(1894)年、ついに廃絶してしまう。
約80年の空白の時を経て、昭和44(1969)年に星野焼の再興を果たし、この地で器づくりを続ける山本源太さんにお話を伺った。

土泥棒、がんばる

源太窯の裏には茶畑が広がる
源太窯の裏には茶畑が広がる。

「一目見て『がんっ』と虜になった。九州の焼き物らしく堂々としていて、繊細なのに力強く雄々しい」源太さんは、星野焼と出会った時の印象をこう語る。鳥取県出身の源太さんは伊勢(三重県)で修行を積んだ後、小石原(福岡県)へ。小さな工芸館で初めて古星野の茶壺を目にした。しかも、その窯はすでに廃れてしまったという。折しも、星野焼再興の話が持ち上がり、当時26歳の源太さんは一も二もなく飛び込んだのだとか。
「全く何にもないところで、土探しから始めたんです。
今のように星野焼の展示館もないし、作品も散逸していて資料らしきものも何もなかった。星野に移り住んで、祭りのお世話やらお葬式のお手伝いやら、村の人たちと交流する中で、少しずつ星野焼が見えてきたような感じかな。そんなふうだから、あっという間に1年、2年…10年が経っちゃいました」と笑う。

星野の土は鉄分が多く収縮率が高い。成形したものを焼くと3割(一般的な陶土の収縮率は1.5〜2割程度と言われる)も縮んでしまうため扱いが難しく、当初はなかなか思い通りにいかなかったとか。
「それで、いったんこの土で何ができるのか、土のいうことを聞いてみようと原点に立ち返ってみたんです。すると、ふっと楽になれた。それが特徴になるなと思い当たったんです」源太さんはちょっといたずらっぽい口調で続けた。
「僕は自分のことを“土泥棒”だと思っているんです。自然にあるものをちょっと拝借、使わせてもらってるという感じだからね」

古陶星野焼展示館では江戸中期以降の古星野の逸品を鑑賞できる
古陶星野焼展示館では江戸中期以降の古星野の逸品を鑑賞できる。
江戸時代後期の古星野「三耳付葉茶壺(みつみみつきはちゃつぼ)」古陶星野焼展示館蔵
江戸時代後期の古星野「三耳付葉茶壺(みつみみつきはちゃつぼ)」古陶星野焼展示館蔵
茶葉の保存や運搬用に作られた茶壺の内部
茶葉の保存や運搬用に作られた茶壺の内部
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星野焼が入ってきた!

森松勢蔵

星野焼の中には、お茶を注ぐと器の中が黄金のように光り揺らめく「夕日焼」と呼ばれる技法がある。ところが当時、夕日焼という美しい響きだけは人々の記憶に残っていたものの、現存する古星野のなかで、いったいどれが夕日焼なのかは誰にもわからない。ましてやその製法など知るすべもなかった。それでも源太さんはさまざまな工夫を凝らしながら試作に試作を重ねた。星野焼の最後の陶工・森松勢蔵もりまつせいぞうが残した釉薬調合の秘伝書『焼物傳事帳』の発見も助けになった。とはいえ、ようやく納得のいく夕日焼ができるまでには20年を要したという。

一期一会。同じものは作れないし、今できることを一生懸命やりたい

「星野の土は鉄分が多い。鉄は焼き物を作る上でおもしろいんだけど、すごく不安定でもある」と源太さん
「星野の土は鉄分が多い。鉄は焼き物を作る上でおもしろいんだけど、すごく不安定でもある」と源太さん。
茶を注ぐと器の中に夕焼けのように美しい風景が浮かび上がる「夕日焼」
緑茶を注ぐと器の中に夕焼けのように美しい風景が浮かび上がる「夕日焼」。
星野焼では珍しい白い器は、源太さんの故郷・鳥取の名産である梨の木灰を釉薬に使っている
星野焼では珍しい白い器は、源太さんの故郷・鳥取の名産である梨の木灰を釉薬に使っている。

星野の地で半世紀以上、作陶を続ける源太さんは言う。
「星野焼を再興しようというよりは、焼き物を焼き続けているうちに自分の中に星野焼がどんどん入ってきたという感覚です。星野焼のほうから押し寄せて近づいてきて、今ではもうほとんど、僕が焼く器=星野焼になっている。50年の間に自然とそうなったんでしょうかねぇ」縁側に無造作に並ぶ源太さんの作品は実に多彩。従来の星野焼にはなかった白い器は、故郷・鳥取の名産である梨の木の灰を釉薬に使ったもの。また、天体を思わせる蓋物やオブジェもユニークだ。

天体シリーズに感銘を受けたアマチュア天文家らが小惑星に「(8824)GENTA」と名付けたというエピソードも
天体シリーズに感銘を受けたアマチュア天文家らが小惑星に「(8824)GENTA」と名付けたというエピソードも。

星野で焼く、だから星野焼
「器は手応え。重からず、軽からずがいい」と櫛目窯変の壺を手にする丸田さん。

登り窯にくべる薪には、油気があって火力が強い松を使う
登り窯にくべる薪には、油気があって火力が強い松を使う。

現在、星野焼は、源太窯のほか、十篭窯じゅうごもりがま(丸田修一さん)、錠光窯じょうこうがま山本拓道やまもとたくどうさん)の3つの窯元で、その伝統文化を継承し、それぞれに個性豊かな器づくりをしている。
ちょっと足を延ばして十篭窯の丸田修一さんを訪ねてみた。なるほど随分と作風が違う。釉薬をかけずに焼きしめた大胆な「櫛目窯変くしめようへん」、繊細な模様を施した「花文象嵌かもんぞうがん」。いずれも同じ星野焼である源太さんのものとは趣が全く異なっている。

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丸田さんは佐賀県武雄市出身。星野村の美しい自然や人々の温かさに惹かれ、この地に窯を開いて46年になる。伝統を大切にしながらも、身近に置いてホッとする、心豊かになるような器を作っていきたいそうだ。
それぞれの作り手のルーツや想いを受け止める星野焼のおおらかさ、懐の深さは、星野村の豊かな自然や、そこに暮らす人々の飾らない優しさにも通じる。「星野で焼いたものは星野焼」という源太さんの言葉が胸に甦った。

「水を飲むのに、こうして手で受けて飲むでしょう。その形を写したものが器だろうっていうのが出発点です。そんなふうにずうっと日常づかいの食器を作ってきました。日々の暮らしを大事にしたいんです」と源太さん。
星野で焼かれる器は、そこで産するお茶とともに、きっと私たちの日常を豊かに満たしてくれることだろう。

古陶星野焼展示館

江戸中期以降の古星野の逸品から現代の名工の作品まで展示。館内に湧き水を湛える庭園を擁する癒しの空間でゆったりと鑑賞したい。

古陶星野焼展示館
古陶星野焼展示館
入館料
大人200円、高校生100円、
中・小学生50円
開館時間
9:00〜17:00
休館日
火曜日(当日が祝日の場合は開館)、年末年始
住所
福岡県八女市星野村千々谷11865-1
電話
0943-52-3077

星野焼 源太窯

星野焼 源太窯
住所
福岡県八女市星野村10471
電話
0943-52-2188

星野焼 十篭窯

星野焼 十篭窯
住所
福岡県八女市星野村麻生10780
電話
0943-52-2143
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