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おとな旅 ゆとり旅 南紀の海、熊野古道、そして〝よみがえり〟の聖地へ

明るい海に縁どられた日本最大の半島・紀伊半島。
この半島の南部地域は「熊野」と呼ばれ、
古くから〝よみがえり〟の聖地として信仰を集めてきました。
今回は田辺市街から熊野古道、そして熊野本宮大社へ。
早春の熊野の情景をお届けします。

変化に富んだ田辺湾

紀伊半島南西部に位置する和歌山県田辺市。
田辺は近畿一広い市で、面積は和歌山県全体の約4分の1を占めています。市域の西は田辺湾に面し、平野部には市街地が広がっています。京都・新大阪、あるいは関西空港からの旅の“入り口”となる「紀伊田辺」駅もあり、多くの旅人を迎え入れてきました。

一方、市の東部は「熊野信仰」の修行の場とされてきた深い山地となります。
熊野信仰の聖地・熊野三山の一つにして、全国5000社ともいわれる熊野神社の総本宮「熊野本宮大社」も同市にあり、そこに向かって「熊野古道」が通じる田辺は“世界遺産のまち”でもあります。

今回は旅のはじめに田辺湾の北側にある「天神崎」を訪ねました。

田辺湾は太平洋を流れる黒潮の影響を受けて、海の中には多種多様な生物が生息。北限のサンゴの海としても有名です。数年前、水温の低下でサンゴは絶滅に瀕していましたが、うれしいことに2020年11月の調査では回復してきているのが確認されています。

潮が引くと、天神崎周辺には21ヘクタールもの広い岩礁が現れ、こんもりとした「丸山」までも歩いて渡ることができます。

田辺湾は豊かな海で、釣り場としても人気。釣り人の姿もあちこちに見られます。
チヌ、グレ、マダイ、イシダイ、それに青物(青魚)。春は大物の春イカを狙う人も多いそうです。

田辺湾の南岸部の「鳥巣半島」からは、全島照葉樹に覆われた無人島「神島かしま」が望めます。
鳥巣半島の海岸には、約1.5キロにわたり、岩の割れ目に液状化した泥岩層が吹き出して固まった国内最大規模の「泥岩岩脈」が走っています。

鳥巣半島の泥岩岩脈と神島は、ともに国の天然記念物に指定されています。

歴史を感じさせる街を歩く

天然の良港に恵まれたこの町は、古くから南紀の経済・文化の中心地であり、江戸幕府樹立より3年後の1606年には、「湊城」「湊村城」の別名を持つ田辺城が築かれました。
散策すると、城下町の面影が残る街並みも…。
鬪雞とうけい神社」「蟻通ありとおし神社」などの古社もあり、歴史を感じさせてくれます。

こちらは2016年、世界遺産に追加登録された「鬪雞神社」の拝殿。
社名は、本殿の前で紅白の鶏を戦わせ、源平合戦の勝運を占ったことに由来するそうです。熊野三山(熊野本宮大社、熊野那智大社、熊野速玉大社)のすべての祭神を勧請、三山の別宮として熊野信仰の一翼を担ってきました。

拝殿の奥には、本殿をはじめとする6棟が一直線に並ぶ、熊野本宮大社元来の伝統形式を、いまに伝えるものとなっています。

こちらは766年の勧請と伝わる「蟻通神社」。境内には大木がクスノキなどの巨樹が立ち、町なかとは思えぬ静かな空気に包まれています。

熊野古道を通り神域の山々へ

「熊野」は紀伊半島南端の地域を指し、古来、黄泉よみの国の入り口とされてきました。そこに行って、帰ってくるので「よみがえり」。つまり再生を果たす旅の道が「熊野古道」なのです。

熊野古道にはいくつかのルートがあって、そのうち最も多くの人が歩いたのが、田辺から熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)を目ざす「中辺路」です。
京からは往復約600キロの旅。再び京に帰りつくまで、約ひと月もの時間を要する旅でしたが、それでも平安~鎌倉にかけて上皇・法皇などの熊野御幸は100回あまりにのぼったそうです。

滝尻王子の近くには、熊野古道に関する資料や滝尻王子の所蔵品などを展示する「熊野古道館」が。聖地への旅に備えて、さまざまな基礎知識を得ることができます。

温泉を楽しみに旅をする方も多いでしょう。和歌山には名だたる温泉がずらり。熊野本宮に近い場所にも温泉があり、古来、多くの旅人に利用されてきました。

その一つが「川湯温泉」。本宮大社で執り行われる献湯祭で一番湯を供えるなど、本宮との結びつきも深い温泉です。
ここは日本一長い路線バス(奈良交通・八木新宮線)の停留所もあるので、路線バスの旅の途中で立ち寄ることもできます。

山の合間を流れる川は、熊野川の支流「大塔川おおとうがわ」。国立公園にも指定されている豊かな自然のなかにある、ひなびた温泉で、その名のとおり川原を掘れば湯が湧き出し、川底からも湯が湧き出しています。
泉質はアルカリ性単純温泉で、やわらかいお湯で肌もスベスベに。

水量が少なくなる冬場に川をせき止めて「仙人風呂」もつくられます。
川原に露天風呂をつくっている旅館、日帰り入浴が可能な公衆浴場もあるので、もちろんオールシーズン、いい湯に浸かれます。

熊野古道を通り神域の山々へ

日本の多くの人は、神様を拝むことも仏様も拝むこともあります。
熊野では、そうした日本独特の「神仏習合」の信仰をはぐくみ伝えてきました。

熊野本宮大社の主祭神は「家津美御子大神けつみこのおおかみ」、すなわちスサノオノミコト。
名前の最初にある「ケ」という音は古い言葉では「食」、また「生命力」の意味があるそうで、家津美御子大神はそれらを象徴する神とされています。
同社はこの神を、「阿弥陀如来」の化身(権現)としても祀っています。

本宮大社が鎮座するのは、長い石段の上。
のぼりきると大注連縄おおしめなわを張った神門の正面に、荘厳な社殿が構えています。

石段は、158段あるとか。一気にのぼりきるのは、つらい数です…。でも途中にはベンチもあり、ムリせず休憩しながら自分のペースで参ることができます。
また足に自信のない人も参詣しやすいよう、高いところに駐車場も造られているので、利用したい人は社務所に申し出を。

熊野本宮大社は明治時代に大水害に遭い、被害を免れた4棟の社殿が現在の位置に遷座されました。
旧社地は、現在の本宮大社から歩いて10分ほどのところ。巨大な大鳥居が立つ「大斎原おおゆのはら」です。

大鳥居は高さ33・9メートル、幅42メートル。堂々、日本一。真下に立つと、その大きさに圧倒されます。

大鳥居の奥、大樹の森のその奥には小さな祠が建てられて、かつてここにあった社殿を祀っています。深い緑と澄んだ空気に包まれながらお参りすると、こころもスッと落ち着いて…。なんとも心地よい〝聖地〟の時間・空間を、体感させてくれます。

おみやげ選びも楽しい田辺の旅

田辺は梅の名産地。市内にある道の駅やみやげ物店には、梅干し・梅酒・梅ジュースなど、いろんな梅製品が並んでいます。

また、熊野本宮大社から北東方向にある北山村の特産品、「じゃばら」を使った製品もいろいろ。じゃばらは「ナリルチン」という成分が特に多いことで、いま注目されている柑橘類の1種です。
特におみやげに喜ばれたのは、「じゃばら胡椒」。ゆず胡椒と同様にいろんな料理に使え、さわやかな風味が楽しめます。ネット通販でも入手できるので、気になる方はチェックしてみてください。

「紀伊田辺」へのアクセス

JR「新大阪」より、特急「くろしお」で2時間11分~2時間28分

天神崎
「紀伊田辺駅」より龍神バス(みなべ線)で約6分、「明洋前」より徒歩約15分
鳥巣半島の泥岩岩脈
「紀伊田辺駅」より明光バス「白浜温泉行き」で約15分、「内の浦」より徒歩約15分
鬪雞神社
「紀伊田辺駅」より徒歩約10分
蟻通神社
「紀伊田辺駅」より徒歩約5分
滝尻王子・熊野古道館
「紀伊田辺駅」より龍神バス(熊野本宮線)で36~42分、「滝尻」下車
川湯温泉
「紀伊田辺駅」より龍神バス(熊野本宮線)で1時間51分~2時間2分、「川湯温泉」下車
熊野本宮大社 http://www.hongutaisha.jp/
「紀伊田辺駅」より龍神バス(熊野本宮線)で2時間4分~2時間11分、「本宮大社前」下車

旅の図書室

佐藤春夫著「近代神仙譚」─ 南方熊楠の記録と記憶 ─

博物学者にして民俗学者、生物学者、宗教学者、そして日本のエコロジーの先駆者、
南方熊楠みなかたくまぐす
和歌山が生んだ、その知の巨人の生涯を、
同じ和歌山県出身の文豪・佐藤春夫が
近代神仙譚きんだいしんせんたん」という作品に書き記しています。

同作は佐藤春夫全集などに収録。
2017年には、熊楠生誕150年を記念して
文庫本も出されました。

熊楠は幼年期から学問に親しみ、大学予備門(現在の東京大学)に入学しましたが、やがて好奇心の赴くままに海外を放浪。
帰国後、気候が良く暮らしやすい田辺を気に入り、永住の地と定めました。それから最晩年までの25年間を過ごした家は田辺市に遺贈され、2006年に傷みの激しかった建物が復原・改修されました。

もともとは田辺藩士のお屋敷だったという敷地は約400坪。広い庭にはミカンやクスノキといった樹木をはじめ、さまざまな植物が育てられていました。

ここで熊楠は、採集した粘菌など標本作りに勤しむ一方、民俗学者の柳田國男らとも交流。知力を結集して、世界の実相に迫ったのです。
書斎では熊楠が使った道具・文具・調度品を間近で見学することができます。

隣地には木格子の外観が特徴的な「南方熊楠顕彰館」があります。

館内は、紀州産の木材が使われた高い吹き抜け、木格子が生み出すリズミカルな光陰が心地よく…。熊野の自然を感じながら、熊楠の蓄積した知の世界に触れられる場となっています。

昭和4年の春、熊楠のもとに思わぬ話が届きます。生物学にご熱心な天皇陛下が、紀南行幸の際に、熊楠による進講を望まれているというのです。
熊楠は田辺湾に浮かぶ神島でお出迎えし、お召艦の艦上にて進講。熊楠は、その光栄に高ぶる気持ちを詠み込んだ歌を遺しました。

生前の熊楠は、神島の森の重要性を見いだし、保全活動を展開しました。
現在、森林保全のため立入禁止となっている神島。その中に、この歌を刻んだ記念碑が立っているそうです。

南方熊楠旧居・南方熊楠顕彰館へのアクセス

JR「紀伊田辺」駅から徒歩約10分

ホームページ
 https://www.minakata.org/

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