「今出来のものとは思へない。それほど手法が古く形がよく色が美しい」民藝運動を牽引した柳宗悦は小鹿田焼をこう評した。そのやきもの作りは18世紀初頭の開窯以来、ほとんど変わっていない。今も機械を使わず、川の流れを動力とした唐臼、足で回す蹴ろくろ、薪を使った登り窯で作る。
大分県日田市の北部にある山あいの小さな集落で、300年の間、一子相伝で守り伝えられてきた小鹿田焼の技術は1995年に国の重要無形文化財に登録された。やきものの原点ともいえる、制作工程をなぞりながら、小鹿田焼とともに生きる窯元に話を聞く。

小鹿田の自然の力と人の手で生み出される小鹿田焼。その工程の一つひとつに長年培ってきた工夫が息づいている。




















まさに“用の美”を思わせる小鹿田焼の器は、日常使いしてこそ真価を発揮。和洋中の料理が映えるだけでなく、多様なインテリアにもすんなりとなじむ。

均等に日が当たるように心を配りながら天日干しを行う慈子さん。
集落のほぼ中央にある、柳瀬晴夫窯の当主・晴夫さんと、ご家族にお話を伺った。13代目当主の晴夫さんは、半世紀以上もろくろを蹴ってきただけに、まるで息をするかのように自然に手を動かし、次々と器を形作っていく。「自分は職人」「人が使うためのものを作るのが民藝」と言い、暮らしの道具としてのやきもの作りに徹しながらも「少しでもいいものを作ってやろう」という気概が、魅力ある器を生み出す。次代当主となる予定の長男・元寿(もとひさ)さんも父の傍らで黙々とろくろを回し、すでに20年になる。
ふたりの一番の理解者である奥様の恵子さんに聞いた。
「夫はとにかくブレない人。作るものにも考え方にも芯が通っていますね。口には出しませんが、うちは柳瀬三右衛門という先祖(小鹿田焼の開祖の一人)があるから、絶対潰せないという気持ちは強いはず。デザインを勉強しに一時、福岡へ出ていた息子が戻ってきたときは正直、ほっとしましたよ。息子は無口で、何を考えているかよくわかりませんが、性格的にはやきものの仕事に向いていると思います。職人は言葉ではなく、できあがった器で表現すればいいんです」






窯元の仕事は、家族総出で行われる。3人の子育て真っ最中の元寿さんの妻・慈子(ちかこ)さんも、恵子さんに教わりながら土作りや天日干しなどをこなす。
「11歳の長男は、すでに窯元を継ぐという自覚を持っています。ただね、ちょっと困ったことに9歳の次男が『僕も継ぎたい』って言うんですよね」と慈子さんは明るく笑った。
小鹿田の集落には9軒の窯元があり、それぞれの家の技術を伝承しつつ、共同体としても心をひとつに小鹿田焼の里を守ってきた。
「みんな家族みたいなもんですからね」と言う恵子さんの言葉に気負いはない。
小鹿田の里の人々はみな、のびのびと自然体で生きている。緑の谷間に響く唐臼のリズムがそうさせるのだろうか。この音がいつまでも続くことを願ってやまない。


日田市立小鹿田焼陶芸館
江戸時代から現代に至るまでの小鹿田焼の作品を展示するほか、その歴史や特徴をわかりやすく解説。制作工程や技法、窯元の人々の暮らしぶりなどを知ることができる。


- 観覧料
- 無料
- 開館時間
- 9:00〜17:00
- 休館日
- 水曜日(祝日に当たる場合はその翌日)、年末年始
- 住所
- 大分県日田市源栄町138-1
- 電話
- 0973-29-2020