日本で初めてとなる小麦の化学的研究は医薬品、健康食品事業へと発展。
人々をもっと健康に。創業者の想いは現在も受け継がれています。
[ 社会の動き ]
庶民はまだ着物が主流。
家庭に電気は通っておらず、石油ランプが普及。
[ 社会の動き ]
1914年、第一次世界大戦が勃発。
1923年、関東大震災発生。
1926年、昭和に改元。
Topic
1
日本で初めてとなる
小麦の化学的研究を開始
1914年、欧米の製粉企業では当たり前だった実験室を、日本で初めて設置。専門的な知識を持った科学者を積極的に採用し、小麦からビタミン、製剤、食品素材へと研究の幅を広げていきます。
[ 社会の動き ]
1939年、第二次世界大戦が勃発。
Topic
2
鈴木博士との共同研究で
ビタミンB6の合成に成功
1935年、理化学研究所の設立者の一人である鈴木梅太郎博士の研究室へ、研究員を派遣します。鈴木博士は世界で初めてビタミンB1を発見し、実用化に成功した人物。彼との共同研究により、1940年にビタミンB6の合成法の開発に成功すると、その栄養価に注目した政府の要請で、日清製粉鶴見工場内にビタミン製造所を設けて大量生産を請け負います。以降も、ビタミンE、K1の生産を開始。ビタミン研究は規模を拡大していくことになります。
[ 社会の動き ]
1950年代、高度経済成長期へ。
Topic
3
「リブロン小麦胚芽」を
発売
1935年から続けていた小麦胚芽の研究により胚芽に栄養素がバランスよく含まれていると判明。商品化に向けて研究を重ね、1955年に粉末と粒状の2タイプを発売することに。この商品が、当時の社長、正田英三郎により「リブロン小麦胚芽」と名付けられます。「リブロン」とは、世界的な栄養学者ハウザー博士の著書『Look Younger, Live Longer』から命名されたのでした。
[ 社会の動き ]
1950年代後半、一般家庭の憧れ
「三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)」がブーム。
Topic
4
製薬会社へ原料を
供給する
メーカーとして
健康を支える
戦後、一時はビタミン製造の中止を余儀なくされるも、1962年には大阪ビタミン工場を設置。その2年後には長野県上田市に規模を大きくした工場の移設を決めるなど、原料を製薬会社へ供給するメーカーとしても活躍。1965年頃には世界各国へビタミンを輸出するようになります。
Topic
5
世界で初めて
コエンザイムQ10
の量産化
製法の開発に成功
コエンザイムQ10が発見されたのは1957年。日清製粉の中央研究所の医薬事業部門(現日清ファルマ)でリーダーを務めていた府川秀明博士が率いる研究チームは、ビタミン研究の技術と経験を生かせばコエンザイムの合成は可能と判断し、本格的に製造実験を開始。1967年、量産化製法の開発に成功します。その後医薬品として用いられ、サプリメントとして普及するのは、それから30年ほど待つことになります。
[ 社会の動き ]
1970年、日本万国博覧会(大阪万博)開催。
1970年代、アメリカ発のファーストフード店が続々と日本進出。
[ 社会の動き ]
1989年、昭和から平成へ。
1991年、特定保健用食品制度がスタート。
[ 社会の動き ]
1996年、政府により「成人病」を
「生活習慣病」と改称。
Topic
6
1970年代には血糖値に
関連した研究をスタート
戦後の日本は食生活の欧米化が急速に進みました。日清製粉の研究所では1970年代前半から今でこそ一般的となった血糖値に着目し研究を開始。その後、2000年に小麦の研究から生まれた「0.19小麦アルブミン」を配合した特定保健用食品「グルコデザイン」を商品化しました。
[ 社会の動き ]
2006年、メタボリックシンドロームが流行語に。
2007年、総人口に占める65歳以上の割合が
21%を超え、超高齢社会へ。
Topic
7
1975年から続く製剤技術は
さまざまな商品開発と共に発展
1975年、ソフトカプセルの生産を開始すると、その製剤技術は製薬会社から注目され共同開発や受託生産も行われました。さまざまな商品開発と共に製剤技術は磨かれ、ビフィズス菌を生きたまま大腸まで届けるダブルガードカプセルの技術の確立につながっていきます。
[ 社会の動き ]
2015年、機能性表示食品制度が施行。
[ 社会の動き ]
2019年、平成から令和へ。